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幸せなことは人に話したい。不幸なことも人に聞いてもらいたい。でも、私の過去は人に聞かせたいものではなかった。たた純粋に不幸なのだ。大抵の犯罪には巻き込まれている。年に何度も誰かに狙われて、今では左手は親指しか感覚がない。そうなった経緯など、誰が話したいのだろうか。私の頭の中で巡らせるだけで十分だ
でもそんな私にも幸せなことが最近あった。話を聞いてくれる人が現れたのは。その人は、カウンセラーという職業だった。職業だから、憂鬱な話でも聞いてくれみたいだった。今もなのかもしれないけれど、その頃の私は精神的にも、肉体的にも病んでいた。精神的には欝。肉体的には流行の紙芝居病だ。みなさん気をつけてください!と広報していた大統領が次の日にかかって戻れなくなったアレだ。 この病気は感情によって起きるせいか、私はかかった当初は全く影響が出なかった。ちなみに、この病気にかかったかチェックする方法は、身近にかかった人がいるかどうかだ。近くにいたら、もう遅いのだ。私の場合は、クラスの友達が最初にかかって、病気になったのがわかった。クラスメートは慌てていたけれど、私はどうでもよかった。 そして、欝の力はその日から効果をはっきした。欝の何事もどうでもいいと言ったら御幣がありそうな症状は、紙芝居病の感情の高ぶりによって起きる発作を抑止する力となった。 これが良いことだったのかはわからなかった。父と母は悲しいことに先にあっちの世界へ生きていって、私は取り残された。貨幣経済は一応残っていたし、法律の改正によって受け取ることのできた遺産で生きていった。今でも、私を置いていった2人をうらむ気持ちもあるし、こんな娘になってしまったことを申し訳ないという気持ちもある。できればあの時一緒に連れて行って欲しかったけれど、私が欝だったし、私のせいでもあるのだから仕方ない。両親は、今でも居間で抱き合って泣いている。当時の私はそれが辛くて家を出た。 カウンセラーを雇うことにしたのは、自分からの判断だった。早く感情の揺れが大きくなりたい。そう思って雇うことにしたのだ。 カウンセラーはすぐ見つかった。この世界の住人を減らさないように、国が政策としてカウンセラーを紹介していたから、国を頼ればすぐに見つかった。 私のカウンセラーは男だった。優秀な男らしい。 私としては、話を聞いてくれるのならば誰でもよかったのだけれど、やっぱり最初は抵抗があった。しかし、段々なれていって、いつの間にか話すことできるようになった。2ヶ月目くらいだったと思う。私は誰かを不幸にすることなく、私の人生を話すことができたのだ。 それからは回復が早かった。学校がずっと休校なのもあいまって、外に出ることを楽しめるようになった時期に、多少事件に巻き込まれたこともあって嫌な状況で紙芝居のページになりかけたけれど、それはなんとか乗り切った。これもカウンセラーのおかげなのだろう。 カウンセラーは何でも冷静に話を聞いてくれた。両親に少し話したら2人は泣いて、動かなくなってしまったけれど、カウンセラーはちゃんとこの世界にいてくれた。 月日が経つにつれて、私は両親の紙芝居病を受け入れられるようになった。両親は、私の苦しみを背負ってくれたのだとおもう。私は家へ帰り、2人の涙を拭いてあげることができるようになっていた。そのときには私も泣いたけれど、また一緒にはなれなかった。 ある日、カウンセラーは外に出てランチを食べながら話をしようと言い出した。その時私ははいはいと了解したけれど、冷静になって考えたら、デートの誘いのような気がしてきた。 正直な話、私は全てを話したカウンセラーに恋心のようなものを見出していた。カウンセラーと患者の間ではよくあることだと聞いていたので、間違いが起きないようにはしていた。その恋心は気のせいだと考えるようにしていた。 それなのに、相手からいきなり誘ってきた。ちょっとだけ腹が立った。こっちは我慢しているのにずるい。でも、嬉しかった部分もあった。あっちから禁忌を破ってくれたのだから、嬉しくないはずがない。でも、いきなりあっちから勝手に禁忌を破ってひどい目にあってきた立場としては、あまり喜べない、そう考えて冷静になることにした。期待はしたら、それだけでページになってしまう。 私は、待ち合わせの日のために、最近あまり動かない流行の服を買ったし、下着も高いのにした。そして前夜には早く寝ることにした。久しぶりにドキドキした。期待はしたくないと考えていたけれど、素直に期待して眠るのは幸せだった。 そして、当日。私は待ち合わせのオープンカフェの外のテーブルのイスに座って待った。屋外用の硬くて丈夫なイスの座り午後地はよくなかった。店員にコーヒーを注文して、待ち合わせ時間の20分前には向かいの道をじーっと眺めていた。すごく楽しい。私にこんな幸せがあっただなんて。 動かない左手を隠すようにして、街を眺める。あの人はいないか。まだ来ないか。心から幸せだった。 いつも誰かに奪われることを警戒していた私が、誰かを待っているのだ。もしかしたらあのカウンセラーに奪われるものがあるかもしれないのに、こんなに幸せそうに。 私は暖かな風を受けた。夕方のその風は私を解放的にした。そして、私は紙芝居病にかかった。 かかった瞬間は自覚できた。気合で治るという話もあながち嘘ではないと知った。でも、私は思った。もう少しこのままでいいや、って。だって、どうせカウンセラーは来るのだから、来たら戻ればいい。そして、カウンセラーが話したがっていた話を聞けばいいのだ。簡単なことだ。私は待つことより、カウンセラーに会うことのほうが大切だから。 私は何度も時計を確認する。まだ来るわけないし、遅刻してくるかもしれない。カフェの場所が分かりにくくて、迷っているのかもしれない。何を話そう。どこへ行こう。何を食べよう。いつまで一緒にいよう。何をしよう。どこまで受け入れよう。 ずっと待っていた。でもまだまだ幸せだったし、楽しい気分はとまらない。 そしたら、偶然にも学校の同級生に会った。久しぶりというより、話したことがないのではじめましてだ。カウンセラーはなかなか来なかった。私も、あの頃より少しは大人になったので、少し話してみたいと思った。 同級生は隣に座る。 どうやら、自分がここにいる理由を話しているようだった。カウンセラーのことを考えていて、頭にちゃんと入ってきていない。でも、楽しそうに話をしているのを観ていると、また心が温かくなる。ナンパ目的かもしれないけど、カウンセラーが来るのだからちゃんと追い払ってくれるだろう。一応診察なのだから。それに、もしかしたら、カウンセラーが嫉妬して、積極的になってくれるかもしれない。よし、利用しておこう。 私は、同級生の話を適当に聞いた。早く着いてくれないかな。話の流れとしては、今度は私がここにいる理由を話さないといけなくなってしまう。それをしたら相手が不幸になってしまうのに。 そうだ。ずっとニコニコしておこう。たまにうなずいたり、目を見たり。カウンセラーが来るまでの辛抱だ。 でもそんなに辛抱という訳ではないか。まぁとりえあえず笑っていよう。カウンセラーはきっと来るのだから。
by swingpop
| 2007-03-12 04:19
| 日常
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